正文 第5节
努力しても忘れ去ることのできるものではないのだ。あの十七歳の五月の夜にキズキを捉えた死はcそのとき同時に僕を捉えてもいたからだ。
僕はそんな空気のかたまりを身のうちに感じながら十八歳の春を送っていた。でもそれと同時に深刻になるまいとも努力していた。深刻になることは必ずしも真実に近づくことと同義ではないと僕はうすうす感じとっていたからだ。しかしどう考えてみたところで死は深刻な事実だった。僕はそんな息苦しい背反性の中でc限りのない堂々めぐりをつづけていた。それは今にして思えばたしかに奇妙な日々だった。生のまっただ中でc何もかもが死を中心にして回転していたのだ。
三
次の土曜日に直子は電話をかけてきてc日曜に我々はデートをした。たぶんデートと呼んでいいのだと思う。それ以外に適当な言葉を思いつけない。
我々は前と同じように街を歩きcどこかの店に入ってコーヒーを飲みcまた歩きc夕方に食事をしてさよならと言って別れた。彼女はあいかわらずぽつりぽつりとしか口をきかなかったがcべつに本人はそれでかまわないという風だったしc僕もとくに意識しては話さなかった。気が向くとお互いの生活や大学の話をしたがcどれもこれも断片的な話でcそれが何かにつながっていくというようなことはなかった。そして我々は過去の話を一切しなかった。我々はだいたいひたすらに町を歩いていた。ありがたいことに東京の町は広くcどれだけ歩いても歩き尽すということはなかった。
我々は殆んど毎週会ってcそんな具合に歩きまわっていた。彼女が先に立ちc僕がその少しうしろを歩いた。直子はいろんなかたちの髪どめを持っていてcいつも右側の耳を見せていた。僕はその頃彼女のうしろ姿ばかり見ていたせいでcそういうことだけを今でもよく覚えている。直子は恥かしいときにはよく髪どめを手でいじった。そしてしょっちゅうハンカチで口もとを拭いた。ハンカチで口を拭くのは何かしゃべりたいことがあるときの癖だった。そういうのを見ているうちにc僕は少しずつ直子に対して好感を抱くようになってきた。
彼女は武蔵野のはずれにある女子大に通っていた。英語の教育で有名なこぢんまりとした大学だった。彼女のアパートの近くにはきれいな用水が流れていてc時々我々はそのあたりを散歩した。直子は自分の部屋に僕を入れて食事を作ってくれたりもしたがc部屋の中で僕と二人きりになっても彼女としてはそんなことは気にもしていないみたいだった。余計なものが何もないさっぱりとした部屋でc窓際の隅の方にストッキングが干してなかったら女の子の部屋だとはとても思えないくらいだった。彼女はとても質素に簡潔に暮しておりc友だちも殆んどいないようだった。そういう生活ぶりは高校時代の彼女からは想像できないことだった。僕が知っていたかつての彼女はいつも華やかな服を着てc沢山の友だちに囲まれていた。そんな部屋を眺めているとc彼女もやはり僕と同じように大学に入って町を離れc知っている人が誰もいないところで新しい生活を始めたかったんだろうなという気がした。
「私がここの大学を選んだのはcうちの学校から誰もここに来ないからなのよ」と直子は笑って言った。「だからここに入ったの。私たちみんなもう少しシックな大学に行くのよ。わかるでしょう」
しかし僕と直子の関係も何ひとつ進歩がないというわけではなかった。少しずつ少しずつ直子は僕に馴れc僕は直子に馴れていった。夏休みが終って新しい学期が始まると直子はごく自然にcまるで当然のことのようにc僕のとなりを歩くようになった。それはたぷん直子が僕を一人の友だちとして認めてくれたしるしだろうと僕は思ったしc彼女のような美しい娘と肩を並べて歩くというのは悪い気持のするものではなかった。我々は二人で東京の町をあてもなく歩きつづけた。坂を上りc川を渡りc線路を越えcどこまでも歩きつづけた。どこに行きたいという目的など何もなかった。ただ歩けばよかったのだ。まるで魂を癒すための宗教儀式みたいにc我々はわきめもふらず歩いた。雨が降れば傘をさして歩いた。
秋がやってきて寮の中庭がけやきの葉で覆い尽された。セーターを着ると新しい季節の匂いがした。僕は靴を一足はきつぶしc新しいスエードの靴を買った。
その頃我々がどんな話をしていたのかc僕にはどうもうまく思いだせない。たぶんたいした話はしていなかったのだと思う。あいかわらず我々は過去の話は一切しなかった。キズキという名前は殆んど我々の話題にはのぼらなかった。我々はあいかわらずあまり多くはしゃべらなかったしcその頃には二人で黙りこんで喫茶店で顔をつきあわせていることにもすっかり馴れてしまっていた。
直子は突撃隊の話を聞きたがっていたのでc僕はよくその話をした。突撃隊はクラスの女の子もちろん地理学科の女の子と一度デートしたが夕方になってとてもがっかりした様子で戻ってきた。それが六月の話だった。そして彼は僕に「あcあのさcワタナベ君さcおc女の子とさcどんな話するのcいつも」と質問した。僕がなんと答えたのかは覚えていないがcいずれにせよ彼は質問する相手を完全に間違えていた。七月に誰かが彼のいないあいだにアムステルダムの運河の写真を外しcかわりにサンフランシスコのゴールデンブリッジの写真を貼っていった。ゴールデンブリッジを見ながらマスターベーションできるかどうか知りたいというただそれだけの理由だった。すごく喜んでやってたぜと僕が適当なことを言うとc誰かがそれを今度は氷山の写真にとりかえた。写真が変るたびに突撃隊はひどく混乱した。
「いったい誰がcこcこcこんなことするんだろうね」と彼は言った。
「さあねcでもいいじゃないか。どれも綺麗な写真だもの。誰がやってるにせよcありがたいことじゃない」と僕は慰めた。
「そりゃまあそうだけどさc気持わるいよね」と彼は言った。
そんな突撃隊の話をすると直子はいつも笑った。彼女が笑うことは少なかったのでc僕もよく彼の話をしたがc正直言って彼を笑い話のたねにするのはあまり気持の良いものではなかった。彼はただあまり裕福とはいえない家庭のいささか真面目すぎる三男坊にすぎなかったのだ。そして地図を作ることだけが彼のささやかな人生のささやかな夢なのだ。誰がそれを笑いものにできるだろう
とはいうもののc突撃隊ジョークcは寮内ではもう既に欠くことのできない話題のひとつになっていたしc今になって僕が収めようと思ったところで収まるものではなかった。そして直子の笑顔を目にするのは僕としてもそれなりに嬉しいことではあった。だから僕はみんなに突撃隊の話を提供しつづけることになった。
直子は僕に一度だけ好きな女の子はいないのかと訊ねた。僕は別れた女の子の話をした。良い子だったしc彼女と寝るのは好きだったしc今でもときどきなつかしく思うけれどcどうしてか心が動かされるということがなかったのだと僕は言った。たぶん僕の心には固い殻のようなものがあってcそこをつき抜けて中に入ってくるものはとても限られているんだと思うcと僕は言った。だからうまく人を愛することができないんじゃないかなcと。
「これまで誰かを愛したことはないの」と直子は訊ねた。
「ないよ」と僕は答えた。
彼女はそれ以上何も訊かなかった。
秋が終り冷たい風が町を吹き抜けるようになるとc彼女はときどき僕の腕に体を寄せた。ダッフルコートの厚い布地をとおしてc僕は直子の息づかいをかすかに感じることができた。彼女は僕の腕に腕を絡めたりc僕のコートのポケットに手をつっこんだりc本当に寒いときには僕の腕にしがみついて震えたりもした。でもそれはただそれだけのことだった。彼女のそんな仕草にはそれ以上の意味は何もなかった。僕はコートのポケットに両手をつっこんだままcいつもと同じように歩きつづけた。僕も直子もゴム底の靴をはいていたのでc二人の足音は殆んど聞こえなかった。道路に落ちた大きなプラタナスの枯葉を踏むときにだけくしゃくしゃという乾いた音がした。そんな音を聴いていると僕は直子のことが可哀そうになった。彼女の求めているのは僕の腕ではなく誰かの腕なのだ。彼女の求めているのは僕の温もりではなく誰かの温もりなのだ。僕が僕自身であることでc僕はなんだかうしろめたいような気持になった。
冬が深まるにつれて彼女の目は前にも増して透明に感じられるようになった。それはどこにも行き場のない透明さだった。時々直子はとくにこれといった理由もなくc何かを探し求めるように僕の目の中をじっとのぞきこんだがcそのたびに僕は淋しいようなやりきれないような不思議な気持になった。
たぶん彼女は僕に何かを伝えたがっているのだろうと僕は考えるようになった。でも直子はそれをうまく言葉にすることができないのだcと。いやc言葉にする以前に自分の中で把握することができないのだ。だからこそ言葉が出てこないのだ。そして彼女はしょっちゅう髪どめをいじったりcハンカチで口もとを拭いたりc僕の目をじっと意味もなくのぞきこんだりしているのだ。もしできることなら直子を抱きしめてやりたいと思うこともあったがcいつも迷った末にやめた。ひょっとしたらそのことで直子が傷つくんじゃないかという気がしたからだ。そんなわけで僕らはあいもかわらず東京の町を歩きつづけc直子は虚空の中に言葉を探し求めつづけた。
寮の連中は直子から電話がかかってきたりc日曜の朝に出かけたりするとcいつも僕を冷やかした。まあ当然といえば当然のことだがc僕に恋人ができたものとみんな思いこんでいたのだ。説明のしようもないしcする必要もないのでc僕はそのままにしておいた。夕方に戻ってくると必ず誰かがどんな体位でやったかとか彼女のあそこはどんな具合だったかとか下着は何色だったかとかcそういう下らない質問をしc僕はそのたびにいい加減に答えておいた。
*
そのようにして僕は十八から十九になった。日が上り日が沈みc国旗が上ったり下ったりした。そして日曜日が来ると死んだ友だちの恋人とデートした。いったい自分が今何をしているのかcこれから何をしようとしているのかさっぱりわからなかった。大学の授業でクローデルを読みcラシーヌを読みcエイゼンシュテインを読んだがcそれらの本は僕に殆んど何も訴えかけてこなかった。僕は大学のクラスでは一人も友だちを作らなかったしc寮でのつきあいも通りいっぺんのものだった。寮の連中はいつも一人で本を読んでいるので僕が作家になりたがっているんだと思いこんでいるようだったがc僕はべつに作家になんてなりたいとは思わなかった。何にもなりたいとは思わなかった。
僕はそんな気持を直子に何度か話そうとした。彼女なら僕の考えていることをある程度正確にわかってくれるんじゃないかという気がしたからだ。しかしそれを表現するための言葉がみつからなかった。変なもんだなcと僕は思った。これじゃまるで彼女の言葉探し病が僕の方に移ってしまったみたいじゃないかcと。
土曜の夜になると僕は電話のある玄関ロビーの椅子に座ってc直子からの電話を待った。土曜の夜にはみんなだいたい外に遊びに出ていたからcロビーはいつもより人も少くしんとしていた。僕はいつもそんな沈黙の空間にちらちらと浮かんでいる光の粒子を見つめながらc自分の心を見定めようと努力してみた。いったい俺は何を求めてるんだろうそしていったい人は俺に何を求めているんだろうしかし答らしい答は見つからなかった。僕はときどき空中に漂う光の粒子に向けて手を伸ばしてみたがcその指先は何にも触れなかった。
*
僕はよく本を読んだがc沢山本を読むという種類の読書家ではなくc気に入った本を何度も読みかえすことを好んだ。僕が当時好きだったのはトルーマンカポーティcジョンアップダイクcスコットフィッツジェラルドcレイモンドチャンドラーといった作家たちだったがcクラスでも寮でもそういうタイプの小説を好んで読む人間は一人も見あたらなかった。彼らが読むのは高橋和巳や大江健三郎や三島由紀夫cあるいは現代のフランスの作家の小説が多かった。だから当然話もかみあわなかったしc僕は一人で黙々と本を読みつづけることになった。そして本を何度も読みかえしcときどき目を閉じて本の香りを胸に吸いこんだ。その本の香りをかぎcページに手を触れているだけでc僕は幸せな気持になることができた。
十八歳の年の僕にとって最高の書物はジョンアップダイクのケンタウロスだったが何度か読みかえすうちにそれは少しずつ最初の輝きを失ってcフィッツジェスラルドのグレートギャツビイにベストワンの地位をゆずりわたすことになった。そしてグレートギャツビイはその後ずっと僕にとっては最高の小説でありつづけた。僕は気が向くと書棚からグレートギャツビイをとりだしc出鱈目にページを開きcその部分をひとしきり読むことを習慣にしていたがcただの一度も失望させられることはなかった。一ページとしてつまらないページはなかった。なんて素晴しいんだろうと僕は思った。そして人々にその素晴しさを伝えたいと思った。しかし僕のまわりにはグレートギャツビイを読んだことのある人間なんていなかったしc読んでもいいと思いそうな人間すらいなかった。一九六八年にスコットフィッツジェラルドを読むというのは反動とまではいかなくともc決して推奨される行為ではなかった。
その当時僕のまわりでグレートギャツビイを読んだことのある人間はたった一人しかいなかったしc僕と彼が親しくなったのもそのせいだった。彼は永沢という名の東大の法学部の学生でc僕より学年がふたつ上だった。我々は同じ寮に住んでいて応お互い顔だけは知っているという間柄だったのだがcある日僕が食堂の日だまりで日なたぼっこをしながらグレートギャツビイを読んでいるとcとなりに座って何を読んでいるのかと訊いた。グレートギャツビイだと僕は言った。面白いかと彼は訊いた。通して読むのは三度めだが読みかえせば読みかえすほど面白いと感じる部分がふえてくると僕は答えた。
「グレートギャツビイを三回読む男なら俺と友だちになれそうだな」と彼は自分に言いきかせるように言った。そして我々は友だちになった。十月のことだった。
永沢という男はくわしく知るようになればなるほど奇妙な男だった。僕は人生の過程で数多くの奇妙な人間と出会いc知り合いcすれちがってきたがc彼くらい奇妙な人間にはまだお目にかかったことはない。彼は僕なんかははるかに及ばないくらいの読書家だったがc死後三十年を経ていない作家の本は原則として手にとろうとはしなかった。そういう本しか俺は信用しないcと彼は言った。
「現代文学を信用しないというわけじゃないよ。ただ俺は時の洗礼を受けてないものを読んで貴重な時間を無駄に費したくないんだ。人生は短かい」
「永沢さんはどんな作家が好きなんですか」と僕は訊ねてみた。
「バルザックcダンテcジョセフコンラッドcディッケンズ」と彼は即座に答えた。
「あまり今日性のある作家とは言えないですね」
「だから読むのさ。他人と同じものを読んでいれば他人と同じ考え方しかできなくなる。そんなものは田舎者c俗物の世界だ。まともな人間はそんな恥かしいことはしない。なあ知ってるかcワタナベこの寮で少しでもまともなのは俺とお前だけだぞ。あとはみんな紙屑みたいなもんだ」
「とうしてそんなことがわかるんですか」と僕はあきれて質問した。
「俺にはわかるんだよ。おでこにしるしがついてるみたいに
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僕はそんな空気のかたまりを身のうちに感じながら十八歳の春を送っていた。でもそれと同時に深刻になるまいとも努力していた。深刻になることは必ずしも真実に近づくことと同義ではないと僕はうすうす感じとっていたからだ。しかしどう考えてみたところで死は深刻な事実だった。僕はそんな息苦しい背反性の中でc限りのない堂々めぐりをつづけていた。それは今にして思えばたしかに奇妙な日々だった。生のまっただ中でc何もかもが死を中心にして回転していたのだ。
三
次の土曜日に直子は電話をかけてきてc日曜に我々はデートをした。たぶんデートと呼んでいいのだと思う。それ以外に適当な言葉を思いつけない。
我々は前と同じように街を歩きcどこかの店に入ってコーヒーを飲みcまた歩きc夕方に食事をしてさよならと言って別れた。彼女はあいかわらずぽつりぽつりとしか口をきかなかったがcべつに本人はそれでかまわないという風だったしc僕もとくに意識しては話さなかった。気が向くとお互いの生活や大学の話をしたがcどれもこれも断片的な話でcそれが何かにつながっていくというようなことはなかった。そして我々は過去の話を一切しなかった。我々はだいたいひたすらに町を歩いていた。ありがたいことに東京の町は広くcどれだけ歩いても歩き尽すということはなかった。
我々は殆んど毎週会ってcそんな具合に歩きまわっていた。彼女が先に立ちc僕がその少しうしろを歩いた。直子はいろんなかたちの髪どめを持っていてcいつも右側の耳を見せていた。僕はその頃彼女のうしろ姿ばかり見ていたせいでcそういうことだけを今でもよく覚えている。直子は恥かしいときにはよく髪どめを手でいじった。そしてしょっちゅうハンカチで口もとを拭いた。ハンカチで口を拭くのは何かしゃべりたいことがあるときの癖だった。そういうのを見ているうちにc僕は少しずつ直子に対して好感を抱くようになってきた。
彼女は武蔵野のはずれにある女子大に通っていた。英語の教育で有名なこぢんまりとした大学だった。彼女のアパートの近くにはきれいな用水が流れていてc時々我々はそのあたりを散歩した。直子は自分の部屋に僕を入れて食事を作ってくれたりもしたがc部屋の中で僕と二人きりになっても彼女としてはそんなことは気にもしていないみたいだった。余計なものが何もないさっぱりとした部屋でc窓際の隅の方にストッキングが干してなかったら女の子の部屋だとはとても思えないくらいだった。彼女はとても質素に簡潔に暮しておりc友だちも殆んどいないようだった。そういう生活ぶりは高校時代の彼女からは想像できないことだった。僕が知っていたかつての彼女はいつも華やかな服を着てc沢山の友だちに囲まれていた。そんな部屋を眺めているとc彼女もやはり僕と同じように大学に入って町を離れc知っている人が誰もいないところで新しい生活を始めたかったんだろうなという気がした。
「私がここの大学を選んだのはcうちの学校から誰もここに来ないからなのよ」と直子は笑って言った。「だからここに入ったの。私たちみんなもう少しシックな大学に行くのよ。わかるでしょう」
しかし僕と直子の関係も何ひとつ進歩がないというわけではなかった。少しずつ少しずつ直子は僕に馴れc僕は直子に馴れていった。夏休みが終って新しい学期が始まると直子はごく自然にcまるで当然のことのようにc僕のとなりを歩くようになった。それはたぷん直子が僕を一人の友だちとして認めてくれたしるしだろうと僕は思ったしc彼女のような美しい娘と肩を並べて歩くというのは悪い気持のするものではなかった。我々は二人で東京の町をあてもなく歩きつづけた。坂を上りc川を渡りc線路を越えcどこまでも歩きつづけた。どこに行きたいという目的など何もなかった。ただ歩けばよかったのだ。まるで魂を癒すための宗教儀式みたいにc我々はわきめもふらず歩いた。雨が降れば傘をさして歩いた。
秋がやってきて寮の中庭がけやきの葉で覆い尽された。セーターを着ると新しい季節の匂いがした。僕は靴を一足はきつぶしc新しいスエードの靴を買った。
その頃我々がどんな話をしていたのかc僕にはどうもうまく思いだせない。たぶんたいした話はしていなかったのだと思う。あいかわらず我々は過去の話は一切しなかった。キズキという名前は殆んど我々の話題にはのぼらなかった。我々はあいかわらずあまり多くはしゃべらなかったしcその頃には二人で黙りこんで喫茶店で顔をつきあわせていることにもすっかり馴れてしまっていた。
直子は突撃隊の話を聞きたがっていたのでc僕はよくその話をした。突撃隊はクラスの女の子もちろん地理学科の女の子と一度デートしたが夕方になってとてもがっかりした様子で戻ってきた。それが六月の話だった。そして彼は僕に「あcあのさcワタナベ君さcおc女の子とさcどんな話するのcいつも」と質問した。僕がなんと答えたのかは覚えていないがcいずれにせよ彼は質問する相手を完全に間違えていた。七月に誰かが彼のいないあいだにアムステルダムの運河の写真を外しcかわりにサンフランシスコのゴールデンブリッジの写真を貼っていった。ゴールデンブリッジを見ながらマスターベーションできるかどうか知りたいというただそれだけの理由だった。すごく喜んでやってたぜと僕が適当なことを言うとc誰かがそれを今度は氷山の写真にとりかえた。写真が変るたびに突撃隊はひどく混乱した。
「いったい誰がcこcこcこんなことするんだろうね」と彼は言った。
「さあねcでもいいじゃないか。どれも綺麗な写真だもの。誰がやってるにせよcありがたいことじゃない」と僕は慰めた。
「そりゃまあそうだけどさc気持わるいよね」と彼は言った。
そんな突撃隊の話をすると直子はいつも笑った。彼女が笑うことは少なかったのでc僕もよく彼の話をしたがc正直言って彼を笑い話のたねにするのはあまり気持の良いものではなかった。彼はただあまり裕福とはいえない家庭のいささか真面目すぎる三男坊にすぎなかったのだ。そして地図を作ることだけが彼のささやかな人生のささやかな夢なのだ。誰がそれを笑いものにできるだろう
とはいうもののc突撃隊ジョークcは寮内ではもう既に欠くことのできない話題のひとつになっていたしc今になって僕が収めようと思ったところで収まるものではなかった。そして直子の笑顔を目にするのは僕としてもそれなりに嬉しいことではあった。だから僕はみんなに突撃隊の話を提供しつづけることになった。
直子は僕に一度だけ好きな女の子はいないのかと訊ねた。僕は別れた女の子の話をした。良い子だったしc彼女と寝るのは好きだったしc今でもときどきなつかしく思うけれどcどうしてか心が動かされるということがなかったのだと僕は言った。たぶん僕の心には固い殻のようなものがあってcそこをつき抜けて中に入ってくるものはとても限られているんだと思うcと僕は言った。だからうまく人を愛することができないんじゃないかなcと。
「これまで誰かを愛したことはないの」と直子は訊ねた。
「ないよ」と僕は答えた。
彼女はそれ以上何も訊かなかった。
秋が終り冷たい風が町を吹き抜けるようになるとc彼女はときどき僕の腕に体を寄せた。ダッフルコートの厚い布地をとおしてc僕は直子の息づかいをかすかに感じることができた。彼女は僕の腕に腕を絡めたりc僕のコートのポケットに手をつっこんだりc本当に寒いときには僕の腕にしがみついて震えたりもした。でもそれはただそれだけのことだった。彼女のそんな仕草にはそれ以上の意味は何もなかった。僕はコートのポケットに両手をつっこんだままcいつもと同じように歩きつづけた。僕も直子もゴム底の靴をはいていたのでc二人の足音は殆んど聞こえなかった。道路に落ちた大きなプラタナスの枯葉を踏むときにだけくしゃくしゃという乾いた音がした。そんな音を聴いていると僕は直子のことが可哀そうになった。彼女の求めているのは僕の腕ではなく誰かの腕なのだ。彼女の求めているのは僕の温もりではなく誰かの温もりなのだ。僕が僕自身であることでc僕はなんだかうしろめたいような気持になった。
冬が深まるにつれて彼女の目は前にも増して透明に感じられるようになった。それはどこにも行き場のない透明さだった。時々直子はとくにこれといった理由もなくc何かを探し求めるように僕の目の中をじっとのぞきこんだがcそのたびに僕は淋しいようなやりきれないような不思議な気持になった。
たぶん彼女は僕に何かを伝えたがっているのだろうと僕は考えるようになった。でも直子はそれをうまく言葉にすることができないのだcと。いやc言葉にする以前に自分の中で把握することができないのだ。だからこそ言葉が出てこないのだ。そして彼女はしょっちゅう髪どめをいじったりcハンカチで口もとを拭いたりc僕の目をじっと意味もなくのぞきこんだりしているのだ。もしできることなら直子を抱きしめてやりたいと思うこともあったがcいつも迷った末にやめた。ひょっとしたらそのことで直子が傷つくんじゃないかという気がしたからだ。そんなわけで僕らはあいもかわらず東京の町を歩きつづけc直子は虚空の中に言葉を探し求めつづけた。
寮の連中は直子から電話がかかってきたりc日曜の朝に出かけたりするとcいつも僕を冷やかした。まあ当然といえば当然のことだがc僕に恋人ができたものとみんな思いこんでいたのだ。説明のしようもないしcする必要もないのでc僕はそのままにしておいた。夕方に戻ってくると必ず誰かがどんな体位でやったかとか彼女のあそこはどんな具合だったかとか下着は何色だったかとかcそういう下らない質問をしc僕はそのたびにいい加減に答えておいた。
*
そのようにして僕は十八から十九になった。日が上り日が沈みc国旗が上ったり下ったりした。そして日曜日が来ると死んだ友だちの恋人とデートした。いったい自分が今何をしているのかcこれから何をしようとしているのかさっぱりわからなかった。大学の授業でクローデルを読みcラシーヌを読みcエイゼンシュテインを読んだがcそれらの本は僕に殆んど何も訴えかけてこなかった。僕は大学のクラスでは一人も友だちを作らなかったしc寮でのつきあいも通りいっぺんのものだった。寮の連中はいつも一人で本を読んでいるので僕が作家になりたがっているんだと思いこんでいるようだったがc僕はべつに作家になんてなりたいとは思わなかった。何にもなりたいとは思わなかった。
僕はそんな気持を直子に何度か話そうとした。彼女なら僕の考えていることをある程度正確にわかってくれるんじゃないかという気がしたからだ。しかしそれを表現するための言葉がみつからなかった。変なもんだなcと僕は思った。これじゃまるで彼女の言葉探し病が僕の方に移ってしまったみたいじゃないかcと。
土曜の夜になると僕は電話のある玄関ロビーの椅子に座ってc直子からの電話を待った。土曜の夜にはみんなだいたい外に遊びに出ていたからcロビーはいつもより人も少くしんとしていた。僕はいつもそんな沈黙の空間にちらちらと浮かんでいる光の粒子を見つめながらc自分の心を見定めようと努力してみた。いったい俺は何を求めてるんだろうそしていったい人は俺に何を求めているんだろうしかし答らしい答は見つからなかった。僕はときどき空中に漂う光の粒子に向けて手を伸ばしてみたがcその指先は何にも触れなかった。
*
僕はよく本を読んだがc沢山本を読むという種類の読書家ではなくc気に入った本を何度も読みかえすことを好んだ。僕が当時好きだったのはトルーマンカポーティcジョンアップダイクcスコットフィッツジェラルドcレイモンドチャンドラーといった作家たちだったがcクラスでも寮でもそういうタイプの小説を好んで読む人間は一人も見あたらなかった。彼らが読むのは高橋和巳や大江健三郎や三島由紀夫cあるいは現代のフランスの作家の小説が多かった。だから当然話もかみあわなかったしc僕は一人で黙々と本を読みつづけることになった。そして本を何度も読みかえしcときどき目を閉じて本の香りを胸に吸いこんだ。その本の香りをかぎcページに手を触れているだけでc僕は幸せな気持になることができた。
十八歳の年の僕にとって最高の書物はジョンアップダイクのケンタウロスだったが何度か読みかえすうちにそれは少しずつ最初の輝きを失ってcフィッツジェスラルドのグレートギャツビイにベストワンの地位をゆずりわたすことになった。そしてグレートギャツビイはその後ずっと僕にとっては最高の小説でありつづけた。僕は気が向くと書棚からグレートギャツビイをとりだしc出鱈目にページを開きcその部分をひとしきり読むことを習慣にしていたがcただの一度も失望させられることはなかった。一ページとしてつまらないページはなかった。なんて素晴しいんだろうと僕は思った。そして人々にその素晴しさを伝えたいと思った。しかし僕のまわりにはグレートギャツビイを読んだことのある人間なんていなかったしc読んでもいいと思いそうな人間すらいなかった。一九六八年にスコットフィッツジェラルドを読むというのは反動とまではいかなくともc決して推奨される行為ではなかった。
その当時僕のまわりでグレートギャツビイを読んだことのある人間はたった一人しかいなかったしc僕と彼が親しくなったのもそのせいだった。彼は永沢という名の東大の法学部の学生でc僕より学年がふたつ上だった。我々は同じ寮に住んでいて応お互い顔だけは知っているという間柄だったのだがcある日僕が食堂の日だまりで日なたぼっこをしながらグレートギャツビイを読んでいるとcとなりに座って何を読んでいるのかと訊いた。グレートギャツビイだと僕は言った。面白いかと彼は訊いた。通して読むのは三度めだが読みかえせば読みかえすほど面白いと感じる部分がふえてくると僕は答えた。
「グレートギャツビイを三回読む男なら俺と友だちになれそうだな」と彼は自分に言いきかせるように言った。そして我々は友だちになった。十月のことだった。
永沢という男はくわしく知るようになればなるほど奇妙な男だった。僕は人生の過程で数多くの奇妙な人間と出会いc知り合いcすれちがってきたがc彼くらい奇妙な人間にはまだお目にかかったことはない。彼は僕なんかははるかに及ばないくらいの読書家だったがc死後三十年を経ていない作家の本は原則として手にとろうとはしなかった。そういう本しか俺は信用しないcと彼は言った。
「現代文学を信用しないというわけじゃないよ。ただ俺は時の洗礼を受けてないものを読んで貴重な時間を無駄に費したくないんだ。人生は短かい」
「永沢さんはどんな作家が好きなんですか」と僕は訊ねてみた。
「バルザックcダンテcジョセフコンラッドcディッケンズ」と彼は即座に答えた。
「あまり今日性のある作家とは言えないですね」
「だから読むのさ。他人と同じものを読んでいれば他人と同じ考え方しかできなくなる。そんなものは田舎者c俗物の世界だ。まともな人間はそんな恥かしいことはしない。なあ知ってるかcワタナベこの寮で少しでもまともなのは俺とお前だけだぞ。あとはみんな紙屑みたいなもんだ」
「とうしてそんなことがわかるんですか」と僕はあきれて質問した。
「俺にはわかるんだよ。おでこにしるしがついてるみたいに
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