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正文 第48节

  係ないものなのよ。これ以上彼女を傷つけたりしたらcもうとりかえしのつかないことになるわよ。だから辛いだろうけれど強くなりなさい。もっと成長して大人になりなさい。私はあなたにそれを言うために寮を出てわざわざここまできたのよ。はるばるあんた棺桶みたいな電車に乗って」

  「レイコさんの言ってることはよくわかりますよ」と僕は言った。「でも僕にはまだその準備ができてないんですよ。ねえcあれは本当に淋しいお葬式だったんだ。人はあんな風に死ぬべきじゃないですよ」

  レイコさんは手をのばして僕の頭を撫でた。「私たちみんないつかそんな風に死ぬのよ。私もあなたも」

  *

  僕らは川べりの道を五分ほど歩いて風呂屋に行きc少しさっぱりとした気分で家に戻ってきた。そしてワインの栓を抜きc縁側に座って飲んだ。

  「ワタナベ君cグラスもう一個持ってきてくれない」

  「いいですよ。でも何するんですか」

  「これから二人で直子のお葬式するのよ」とレイコさんは言った。「淋しくないやつさ」

  僕はグラスを持ってくるとcレイコさんはそれになみなみとワインを注ぎc庭の灯籠の上に置いた。そして縁側に座りc柱にもたれてギターを抱えc煙草を吸った。

  「それからマッチがあったら持ってきてくれるなるべく大きいのがいいわね」

  僕は台所から徳用マッチを持ってきてc彼女のとなりに座った。

  「そして私が一曲弾いたらcマッチ棒をそこに並べてってくれる私いまから弾けるだけ弾くから」

  彼女はまずヘンリーマンシーニのディアハートをとても綺麗に静かに弾いた。「このレコードあなたが直子にプレゼントしたんでしょう」

  「そうです。一昨年のクリスマスにね。あの子はこの曲がとても好きだったから」

  「私も好きよcこれ。とても優しくて」彼女はディアハートのメロディーをもう一度何小節か軽く弾いてからワインをすすった。「さて酔払っちゃう前に何曲弾けるかな。ねえcこういうお葬式だと淋しくなくていいでしょう」

  レイコさんはビートルズに移りcノルウェイの森を弾きcイエスタディを弾きcミシェンザヒルを弾きcサムシングを弾きcヒアカムズザサンを唄いながら弾きcフールオンザヒルを弾いた。僕はマッチ棒を七本並べた。

  「七曲」とレイコさんは言ってワインをすすりc煙草をふかした。「この人たちはたしかに人生の哀しみとか優しさとかいうものをよく知っているわね」

  この人たちというのはもちろんジョンレノンとボールマッカートニーcそれにジョージハリソンのことだった。

  彼女は一息ついて煙草を消してからまたギターをとってペニーレインを弾きcブランクバードを弾きcジュリアを弾きc六十四になったらを弾きcノーホエアマンを弾きcアンドアイラブハーを弾きcヘイジェードを弾いた。

  「これで何曲になった」

  「十四曲」と僕は言った。

  「ふう」と彼女はため息をついた。「あなた一曲くらい何か弾けないの」

  「下手ですよ」

  「下手でいいのよ」

  僕は自分のギターを持ってきてアップオンザルーフをたどたどしくではあるけれど弾いた。レイコさんはそのあいだ一服してゆっくり煙草を吸いcワインをすすっていた。僕が弾き終わると彼女はぱちぱちと拍手した。

  それからレイコさんはギター用に編曲されたラヴェルの死せる女王のためのバヴァーヌとドビッシーの月の光を丁寧に綺麗に弾いた。「この二曲は直子が死んだあとでマスターしたのよ」とレイコさんは言った。「あの子の音楽の好みは最後までセンチメンタリズムという地平をはなれなかったわね」

  そして彼女はバカラックを何曲か演奏した。クローストゥユー雨に濡れてもウォークオンバイウェディングベルブルース。

  「二十曲」と僕は言った。

  「私ってまるで人間ジュークボックスみたいだわ」とレイコさんは楽しそうに言った。「音大のとき先生がこんなのみたらひっくりかえっちゃうわよねえ」

  彼女はワインをすすりc煙草をふかしながら次から次へと知っている曲を弾いていった。ボサノヴァを十曲近く弾きcロジャースハートやガーシュインの曲を弾きcボブディランやらレイチャールズやらキャロルキングやらビーチボーイスやらティービーワンダーやら上を向いて歩こうやらブルーベルベットやらグリーンフールズやらcもうとにかくありとあらゆる曲を弾いた。ときどき目を閉じたり軽く首を振ったりcメロディーにあわせてハミングしたりした。

  ワインがなくなるとc我々はウィスキーを飲んだ。僕は庭のグラスの中のワインを灯籠の上からかけcそのあとにウィスキーを注いだ。

  「今これで何曲かしら」

  「四十八」と僕は言った。

  レイコさんは四十九曲目にエリナリグビーを弾きc五十曲目にもう一度ノルウェイの森を弾いた。五十曲弾いてしまうとレイコさんは手を休めcウィスキーを飲んだ。「これくらいやれば十分じゃないあしら」

  「十分です」と僕は言った。「たいしたもんです」

  「いいcワタナベ君cもう淋しいお葬式のことはきれいさっぱり忘れなさい」とレイコさんは僕の目をじっと見て言った。「このお葬式のことだけを覚えていなさい。素敵だったでしょう」

  僕は肯いた。

  「おまけ」とレイコさんは言った。そして五十一曲目にいつものバッハのフーガを弾いた。

  「ねえワタナベ君c私とあれやろうよ」と弾き終わったあとでレイコが小さな声で言った。

  「不思議ですね」と僕は言った。「僕も同じこと考えてたんです」

  カーテンを閉めた暗い部屋の中で僕とレイコさんは本当にあたり前のことのように抱きあいcお互いの体を求めあった。僕は彼女のシャツを脱がせc下着をとった。

  「ねえc私けっこう不思議な人生送ってきたけどc十九歳年下の男の子にパンツ脱がされることになると思いもしなかったわね」とレイコさんは言った。

  「じゃあ自分で脱ぎますか」と僕は言った。

  「いいわよc脱がせて」と彼女は言った。「でも私しわだらけだからがっかりしないでよ」

  「僕cレイコさんのしわ好きですよ」

  「泣けるわね」とレイコさんは小さな声で言った。

  僕は彼女のいろんな部分に唇をつけcしわがあるとそこを舌でなぞった。そして少女のような薄いに手をあてc乳首をやわらかく噛みcあたたかく湿ったヴァギナに指をあててゆっくりと動かした。

  「ねえcワタナベ君」とレイコさんが僕の耳もとで言った。「そこ違うわよ。それただのしわよ」

  「こういうときにも冗談しか言えないんですか」と僕はあきれて言った。

  「ごめんなさい」とレイコさんは言った。「怖いのよc私。もうずっとこれやってないから。なんだか十七の女の子が男の子の下宿に遊びに行ったら裸にされちゃったみたいな気分よ」

  「ほんとうに十七の女の子を犯してるみたいな気分ですよ」

  僕はそのしわの中に指を入れc首筋から耳にかけて口づけしc乳首をつまんだ。そして彼女の息づかいが激しくなって喉が小さく震えはじめると僕はそのほっそりとした脚を広げてゆっくりと中に入った。

  「ねえc大丈夫よねc妊娠しないようにしてくれるわよね」とレイコさんは小さな声で僕に訊いた。「この年で妊娠すると恥かしいから」

  「大丈夫ですよ。安心して」と僕は言った。

  ペニスを奥まで入れるとc彼女は体を震わせてため息をついた。僕は彼女の背中をやさしくさするように撫でながらペニスを何度か動かしてcそして何の予兆もなく突然射精した。それは押しとどめようのない激しい射精だった。僕は彼女にしがみついたままcそのあたたかみの中に何度も精液を注いだ。

  「すみません。我慢できなかったんです」と僕は言った。

  「馬鹿ねえcそんなこと考えなくてもいいの」とレイコさんは僕のお尻を叩きながら言った。「いつもそんなこと考えながら女の子とやってるの」

  「まあcそうですね」

  「私とやるときはそんなこと考えなくていいのよ。忘れなさい。好きなときに好きなだけ出しなさいね。どうc気持良かった」

  「すごく。だから我慢できなかったんです」

  「我慢なんかすることないのよ。それでいいのよc。私もすごく良かったわよ」

  「ねえcレイコさん」と僕は言った。

  「なあに」

  「あなたは誰かとまた恋をするべきですよ。こんなに素晴らしいのにもったいないという気がしますね」

  「そうねえc考えておくわcそれ」とレイコさんは言った。「でも人は旭川で恋なんてするものなのかしら」

  僕は少し後でもう一度固くなったペニスを彼女の中に入れた。レイコさんは僕の下で息を呑みこんで体をよじらせた。僕は彼女を抱いて静かにペニスを動かしながらc二人でいろんな話をした。彼女の中に入ったまま話をするのはとても素敵だった。僕が冗談を言って彼女がすくすく笑うとcその震動がペニスにつたわってきた。僕らは長いあいだずっとそのまま抱きあっていた。

  「こうしてるのってすごく気持良い」とレイコさんは言った。

  「動かすのも悪くないですよ」と僕は言った。

  「ちょっとやってみてcそれ」

  僕は彼女の腰を抱き上げてずっと奥まで入ってから体をまわすようにしてその感触を味わいc味わい尽くしたところで射精した。

  結局その夜我々は四回交った。四回ののあとでcレイコさんは僕の腕の中で目を閉じて深いため息をつきc体を何度か小さく震わせていた。

  「私もう一生これやんなくていいわよね」とレイコさんは言った。「ねえcそう言ってよcお願い。残りの人生のぶんはもう全部やっちゃったから安心しなさいって」

  「誰にそんなことがわかるんですか」と僕は言った。

  *

  僕は飛行機で行った方が速いし楽ですよと勧めたのだがcレイコさんは汽車で行くと主張した。

  「私c青函連絡船って好きなのよ。空なんか飛びたくないわよ」と彼女は言った。それで僕は彼女を上野駅まで送った。彼女はギターケースを持ちc二人でプラットフォームのベンチに並んで座って列車が来るのを待っていた。彼女は東京に来たときと同じツイードのジャケットを着てc白いズボンをはいていた。

  「旭川って本当にそれほど悪くないと思う」とレイコさんが訊いた。

  「良い町です」と僕は言った。「そのうちに訪ねていきます」

  「本当」

  僕は肯いた。「手紙書きます」

  「あなたの手紙好きよ。直子は全部焼いちゃったけれど。あんないい手紙だったのにね」

  「手紙なんてただの紙です」と僕は言った。「燃やしちゃっても心に残るものは残るしcとっておいても残らないものは残らないんです」

  「正直言って私cすごく怖いのよ。一人ぼっちで旭川に行くのが。だから手紙書いてね。あなたの手紙を読むといつもあなたがとなりにいるような気がするの」

  「僕の手紙でよければいくらでも書きます。でも大丈夫です。レイコさんならどこにいてもきっとうまくやれますよ」

  「それから私の体の中で何かがまだつっかえているような気がするんだけれどcこれは錯覚かしら」

  「残存記憶ですcそれは」と僕は言って笑った。レイコさんも笑った。

  「私のこと忘れないでね」と彼女は言った。

  「忘れませんよcずっと」と僕は言った。

  「あなたと会うことは二度とないかもしれないけれどc私どこに行ってもあなたと直子のこといつまでも覚えているわよ」

  僕はレイコさんの目を見た。彼女は泣いていた。僕は思わず彼女に口づけした。まわりを通りすぎる人たちは僕たちのことをじろじろとみていたけれどc僕にはもうそんなことは気にならなかった。我々は生きていたしc生きつづけることだけを考えなくてはならなかったのだ。

  「幸せになりなさい」と別れ際にレイコさんは僕に言った。「私cあなたに忠告できることは全部忠告しちゃったからcこれ以上もう何も言えないのよ。幸せになりなさいとしか。私のぶんと直子のぶんをあわせたくらい幸せになりなさいcとしかね」

  我々は握手をして別れた。

  僕は緑に電話をかけc君とどうしても話がしたいんだ。話すことがいっぱいある。話さなくちゃいけないことがいっぱいある。世界中に君以外に求めるものは何もない。君と会って話したい。何もかもを君と二人で最初から始めたいcと言った。

  緑は長いあいだ電話の向うで黙っていた。まるで世界中の細かい雨が世界中の芝生に降っているようなそんな沈黙がつづいた。僕がそのあいだガラス窓にずっと押しつけて目を閉じていた。それからやがて緑が口を開いた。「あなたc今どこにいるの」と彼女は静かな声で言った。

  僕は今どこにいるのだ

  僕は受話器を持ったまま顔を上げc電話ボックスのまわりをぐるりと見まわしてみた。僕は今どこにいるのだでもそこがどこなのか僕にはわからなかった。見当もつかなかった。いったいここはどこなんだ僕の目にうつるのはいずこへともなく歩きすぎていく無数の人々の姿だけだった。僕はどこでもない場所のまん中で緑を呼びつづけていた。

  あとがき

  僕は原則的に小説にあとがきをつけることを好まないがcおそらくこの小説はそれを必要とするだろうと思う。

  まず第一にcこの小説は五年ほど前に僕が書いた螢という短篇小説螢納屋を焼くその他の短編に収録されているが軸になっている。僕はこの短篇をベースにして四百字詰三百枚くらいのさらりとした恋愛小説を書いてみたいとずっと考えていてc世界の終わりとハードボイルドワンダーランドの次の長篇にとりかかる前のいわば気分転換にやってみようというくらいの軽い気持でとりかかったのだがc結果的には九百枚に近いcあまり「軽い」とは言い難い小説になってしまった。たぶんこの小説は僕が思っていた以上に書かれることを求めていたのだろうと思う。

  第二にcこの小説はきわめて個人的な小説である。世界の終りが自伝的であるというのと同じ意味あいでcfスコットフィッツジェラルドの夜はやさしとグレートギャツビイが僕にとって個人的な小説であるというのと同じ意味あいでc個人的な小説である。たぶんそれはある種のセンティメントの問題であろう。僕という人間が好まれたり好まれなかったりするようにcこの小説もやはり好まれたり好まれなか

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